私たち諫早建設は、小平市を中心に、武蔵野市・三鷹市・小金井市・国分寺市・西東京市エリアにおいて、 新しい生活ステージで自分にとって本当の価値のあるものを選び取りたいと願っている大人(たち)のために、新しい視点と美意識をもとに、他にはない独自の提案力と、 半世紀に渡って培ってきた頑固な技術力で、あなたの「知欲」「美欲」「快適欲」を満たした空間を提供することに生きがいを感じている工務店です。

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諫早建設株式会社/東京・小平でプロとつくる“美しい家”

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設計・デザイン、空間づくりのプロと「創る」

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設計担当 高嶋夕夏

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 「住宅は美しくなければならない。
 美しいということばはそのまま受け取って頂きたい。
 美学の問題をここで論じようとは思わないからだ。
 ・・・(略)
 美しい空間をつくるのは建築家の義務だと率直に表明して はいけないのだろうか。」

 篠原一男『住宅論』より

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強くて正直な言葉は、住空間についての“ある真実”を見事に切り取っていると私は思います。

住空間を「美しくつくる」 ということ ―建築家・高嶋夕夏のひとりごと―

この仕事をしていると、住空間を「美しくつくる」ということは、建築家の単なる自己満足ではないのか、
住宅本来の機能とは別の、“余計な部分”にお客さまのご予算を費やしてしまっているのではないか…
正直そんな後ろめたさを感じるときがあります。

なぜなら、住宅に快適な機能を与えるということは、それほど難しいことではなく、
日常生活を快適に過ごすための機能を充実させるためだけだったら、今さら建築家が必要だとは到底思えないのです。

彼の文章を読むと、住空間を「美しくつくる」ということは、
他の誰でもない、「私」でなければならない「理由」があるはずだ、と思うことができるのです。
それを「義務」だと言い切るその姿勢こそが、あるべき建築家の姿なのかもしれません。

では、「美しい住空間」とは、一体どういうものなのでしょうか?

「住空間の美しさ」というものは、個人個人の好みや趣味、あるいは流行や文化によって、
どんなスタイルにも自在に変化してゆくもので、決して正しい答えがあるわけではありません。

お客さまの趣味や個性も、お一人お一人まったく違うのですから、
住空間も、お一人お一人異なるのは当然です。

ならば、「建築家・高嶋夕夏」という枠を外したとき、
私が一個人として「美しい」と思う住空間は、どんなものだろうか? と自分なりに考えてみました。
建築家という職業柄、いつもお客さまの「好み」についてはあれこれ考えているのに、
自分自身の「好み」については、ほとんど考えたことがなかったことに気づかされました。

私個人の「好み」は何なのか? ―それは思いのほか難しい問いでした。

研ぎ澄まされた美しさ

住宅設計とは、コンセプトやこだわりなどある計画のもと、それぞれの工程において、
たとえば建物の外観をどう仕上げるかといった全体的なことから、ドアノブ一つのデザインまで、
一つ一つの選択肢に対してベストな答えを見出していくことが、
本当の意味でのシンプル―「研ぎ澄まされた美しさ」ではないかと思います。

「美しい住まい」が出来上がるまでには、
人知れず削ぎ落とされていった“いらないもの”がたくさんあるのです。

「美しい」と感じる住空間には、そんな表からは見えない、削ぎおとされたものたちの気配を感じます。
そのような住空間には、「美しい住まい」だけが持つ、知的で凛とした独特の空気感が漂っているのです。

あっと驚くような住空間や、奇をてらったような住空間は、たしかに目を引きます。
けれども私は、本当に必要なものたちが、
あるべき場所におさまっている「美しい住まい」にこそ、心魅かれるのです。

「遊び心」が生み出す美しい住空間

もうひとつ、
私が設計をするときに大事にしていることのひとつが「遊び心」です。

「遊び心」というと、お客さまの大切なお住まいを、「遊び心」をもって扱うなんて…と思われそうですね。

けれども、ご予算や土地の広さに限りがあって、とにかく機能性だけを追求してしまいがちな住空間だからこそ、
ちょっとした「余白」や一見「無駄」に見えるような、いわゆる「遊び心」がある住空間には、ハッとする「美しさ」を感じます。

技術に裏打ちされた住空間

研ぎ澄まされた住空間や、遊び心のある住空間を「美しい」と感じることができるのは、
それが確かな技術により、建築家の意図をきちんと表現できた住空間であるからです。

「建築」という言葉の語源である「アーキテクネ(建築)」の「テクネ」は、“技術”を意味し、
「アーキテクト(建築家)」の「テクト」は“技術者”を意味します。

施工の技術力はもちろんのこと、私が「美しい」と思う感覚を、
漠然とではなく、具体的なデザインや、ディテールのひとつひとつに落とし込み、
きちんと目に見えるカタチとして表現できることが大切です。

建築家は「美しく表現する技術」をも、日々磨いていかなければなりません。
こうして、私なりの「美しい住まい」を突き詰めていくと、
おのずとこれから進むべき方向や、目標とする建築が、明確になってきたように思います。

住空間における「美しさ」とは

美しい」という言葉を辞書で引くと、次のような解説が出ています。

――うつくしい・きれい

◇「美しい」は、「日本の美しい自然」「美しい心」などのように、心を打つ内面的な好ましさについて用いることが多く、
 「美しい友情」を「きれいな友情」とは普通はいわない。

◇「きれい」は、「きれいに掃除する」「きれいに食べる」とかのように、外面的な清潔さ・鮮やかさの意が強い。
 「きれいな空気」を「美しい空気」とはいわない。

=「内部に包含されたさまざまな優れたものが表面まで滲み出て、見た目の整いと合わさった様」

「美しさ」というものを、建築に引きつけて考えたとき、
「研ぎ澄まされた住空間」や「遊び心のある住空間」など、表からは見えにくい“企画力”“デザイン力”、
「技術に裏打ちされた住空間」に欠かすことのできない“技術力”“施工力”、
そのどちらが欠けても、「美しい住空間」は成立しないということを痛感しています。

最後に・・・

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  「私のつくった住宅はいつまでも地上に立ちつくして欲しいと願っている。
  ・・・(略)
  もしそれが美しくすぐれた空間ならば、少しでも長く存在する権利が生まれるだろう。
  その家族たちに愛され、いつまでもこの地表に立ってより多くの人々の心に触れて欲しいと願うのは、
  もっとも自然な建築家の気持ちではないだろうか。」
 
  篠原一男『住宅論』より

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この言葉にも、彼独自の力強さを感じます。
とはいえ、冒頭で引用した文章と同じようには、共感できない自分がいます。

「私のつくった住宅はいつまでも地上に立ちつくして欲しい」という願いはあっても、
「それが美しくすぐれた空間ならば、少しでも長く存在する権利が生まれる」とは、
まだ胸を張って言えない、もうひとりの自分がいるからです。

いつか、こう自信を持って言える、「美しい住宅」を作ることができるようになりたいです。
とはいえ、建築家とは一生をかけて自分自身を磨き続ける存在、
満足することなど永遠にないのかもしれません。

建築家として、諫早建設のメンバーとして、「美しい住空間」を、お客さまに提供できるよう、
これからも研鑚を重ねていきたいと、思いを新たにしています。

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