諫早建設の日常酒井ブログ
2016/01/26
先日行った伊豆の月ヶ瀬温泉「雲風風(うふふ)」。
いやあ、今までとは全く違う良さに溢れていた。
「大浴場(=大露天風呂)命」の我が家(=私)としては初めての「大浴場なし」旅館。
要は全ての客室に「温泉露天風呂」が付いている、全7室の本当に小さな宿。
実は以前、と、言ってももう30年も前の話だが、ここにあった「月ヶ瀬温泉旅館」には妻と一緒に何回か訪れたことがあった。
到着してから聞いてみると、すぐ近くに工場のある「東京ラスク」の社長が、前々から旅館業をやりたくて、ちょうどこの旅館が売りに出されたのを機に買い取って、全く自分の自由になる小さな旅館として一部を建て替え、再生したということだった。
新しく出来上がったのは全部で7部屋しかない実に小さな旅館。
しかも前述のように大浴場もましてやロビーもフロントもない。
だから宿泊客は宿の入口の門の辺りに到着すると、どこから見ていたのか、わらわらと、出てきた宿の人に外で出迎えられて、そのまま荷物を受け取られてダイレクトに部屋に案内される。
チェックイン的な作業は全て部屋で行い、あとはひたすら部屋の風呂に入るだけ。
だって、宿には食事処以外に共有スペースが全くないので、部屋から出たところでどこにも行く宛てがないのだ。
で、部屋で二人だけになったら早速素っ裸になって部屋付きの露天風呂へ。
で、この露天風呂がちゃんとした「露天風呂」。
要は今は普通に「露天風呂」と、言っても雨が降った時を考えてちゃんと屋根が付いていたり、名前だけの「露天風呂」で、実はベランダに風呂桶を置いているだけのことがほとんど。
が、ここはキッパリと「露天風呂」。
庭にせり出したデッキにあって、屋根など一切ない。
しかも普通の「部屋付きの風呂」、所謂「風呂桶」的な小さいものではなくて、二人が足を伸ばして並んで入っても十分余るくらいの「広さ」。
で、十分温まって風呂から出たら、パンツも穿かずにバスローブにくるまってすぐ脇においてあるデッキチェアーで「夕涼み(?)」で、冷えてきたらまた風呂に入る・・・・・
合間に部屋に備え付けの冷蔵庫に入っていたタダ(無料)のビールを呑んじゃったりして、この繰り返し繰り返しで、いつの間にか夕食の時間。
夕食も、今では「個室食事処」が一般的なのだけれど、ここはナント、全てが宿の目の前の川に向かったカウンター席。
でも、十分に長――いカウンターで、最大7組しか居ないので隣との距離も十分。
だからお隣の声が聞こえる、と、いうこともない。
目の前のライトアップされたモミジが今頃紅葉していて、実に美しい。
で、ひと品ひと品をカウンターを挟んだ向うから、目の前で料理長が頃合いを見計らって出してくれる。
料理長だから当たり前だけれど料理の説明も実に丁寧にしてくれる。
会話もさりげなく、食事の邪魔にならないようにこちらから話しかければ応えてくれる、という感じ。
ただ、気を遣ったのは、妻が「ちょっと多いな」と感じた時に、目の前の料理長が他のお客様の所にサービスに行った隙(要は目を盗んで)を見て私の皿に料理を移すとき。
そりゃあ気を遣いますがな。
で、ひとつひとつ手の込んだ料理を十分堪能して部屋に帰ると、少しだけTVを観たりして休憩。
それからはまた元に戻って素っ裸にバスローブ。
露天風呂に入っちゃ出て入っちゃ出ての繰り返し。
「こんなことしていたら絶対に人間がダメになる」と、確信が持てるほど。
今、世の中は「合理化」「効率化」の嵐で、それこそが経営の金科玉条のごとく崇め奉られ、どこもかしこもそこを目指しているけど、振り返って、他社との「差別化」ということを考えたらむしろその逆を行くべきなのではないかと思う。
ここの「露天風呂」も女将が社長に
「雨の時など、お客様がご不便だから屋根を付けた方が」
と、進言しても、社長は一切聞く耳持たず、
「そんなことしたら“露天風呂”にならないじゃあないか」
と、一蹴されてしまったとか。
私達も二日目は朝から結構な雨(東京に大雪が降った日です)だったので、笠を被って風呂に入ったのだけれど、それはそれで愉しい思い出になったものね。
朝は女将自ら、ひとつひとつ釜で炊き上げたご飯をよそってくれる
考えてみると、私たちが「イイ宿だったねえ」というところはすべからく「非効率的」、というかわざわざ人の手間を掛けているようなところばかり。
要は人が沢山居る。
そして、宿のコンセプト、というか「想い」や「メッセージ」がハッキリしているところが多い。
例えば、この宿のように。
やはり、客から見て魅力的なのは、「どう見られるか」(=どうお客様に選んでいただくか)ということを気にして、他と同じように(真似をして)足並みを揃えてしまって、結果的に個性が出せずに埋もれて行ってしまうところよりも、「どう見せたいか」「どう見て欲しいか」と、言うことをハッキリと打ち出して(要は逆にお客様を選んで)、キッパリと運営をしている宿。
「個性」というものを考えたときには、我々の仕事にも十分に通じるものがあると思う。