諫早建設の日常酒井ブログ
2018/06/08
「腸(はらわた)が煮えくり返る」久々にこういう感情を覚えた。
今週報道された5歳児衰弱死の事件。
多分、こういう「ブログ」にはあんまり相応しくない内容なのかもしれないけど、私達がつくっているのは
所謂物理的な「家」だけではなくて、そこに住まう「家族」でもあると思っているので、その大事な大事な要素である「子供」がこんなに酷い扱いをされて、これ以上ない不幸な結末を迎えてしまった、ということには心の底からの怒りと悲しみを禁じ得ない。
自分で朝4時に目覚ましをセットして起きて親(?)に対して、書いたという文章を聞くと涙が出る。
遺体の足の裏は真冬にベランダで放置されたためか凍傷にかかっていたとも聞く。
本当は現実を直視しなければいけないのかもしれないが、もうこれ以上この事件についての報道を目にするのは耐えられず、TVで流れそうになったらチャンネルを変えてしまうし、新聞に見出しを見つけてもそこは読まないようにしてしまっている。
当たり前だけれどこんなに小さな子供が頼るのは「親」しかいない。
その「親」が「親」としてそもそも不適格だった場合、やはり周囲が気が付いて手を差し伸べてあげなければこういう不幸な事件はこれからも起こり続けるのであろう、と思う。
ましてや、今回は以前住んでいた処で2回も保護されていたにも関わらず起こってしまった。
実は先週の日曜日、例のカンヌで「最高賞」を獲得した是枝監督の「万引き家族」の先行上映を観た。
この映画を観たのは先の事件が報道される前だったのだけれど、偶然にも重なる部分がとっても多くて些か驚いた。
映画の中でも、万引きを繰り返す父息子が真冬の夜にマンションのベランダで寒さに震える小さな女の子を見かねて自宅に連れて帰るところから物語が発展して行く。
最後はこの子は元の両親の元に引き取られて行くのだけれど、それまでと同じように母親からはなじられ、虐げられて、「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・」と繰り返す。
結局はなんの解決にもなっていない、という処で映画は終わる。
虚構の世界を現実の悲惨さが軽―く超えてしまっていることに本当に驚く。
もしかしたらこの子も現実であればあの5歳の女の子と同じような運命を辿ったのかもしれない。
随分昔にはなるけれど観た映画で「鬼畜」とか有名な「蛍の墓」とか、子供が虐げられたり「これでもか」というような不幸な目に合うような話はもうこの歳になると耐えられない。
諌早建設の本社オフィスのすぐ下の階には保育園があって、毎日毎日子供たちが元気な声を上げている。
夕方、迎えに来た母親に手を繋がれて一緒に帰る後ろ姿に思わず「あんたは幸せなんだよ!」と、声を掛けたくなってしまう。
当たり前とは思うけど、やっぱり子供は幸せな環境で元気に明るくスクスクと育って欲しい、と心の底から念願する。