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諫早建設の日常酒井ブログ

2020/07/01

想い

少し前のNHKテレビ「クラシック音楽館」。

3.11の震災の後、東京、というよりも日本を逃げ出す外国人が続出した中で、この指揮者ズービン・メータは逆に、いち早く来日を決めて震災発生の1か月後には被災者支援のチャリティーコンサートを開いた。

この日の放送はその時の再放送。

 

今、日本だけでなく、世界的な影響を及ぼしているコロナ禍。

状況は全く違うが人々の生活を脅かす「危機」という点では重なる部分も多い。

多分今回、そういうことも加味した上での「再放送」になったのだと思う。

プログラムは所謂「第九」。

演奏はNHK交響楽団。

ホールが本拠地であるNHKホールでなかったのも「急遽」だったことを伺わせる。

 

実はこのメータという指揮者。

私が大学生時代から大ファンで、数年前には手兵のイスラエルフィルを率いて来日。

ストラヴィンスキーの「春の祭典」とマーラーの「巨人」という、普通では「ずえったいに」あり得ない二曲プロを行った。

 

要は二曲ともがプログラムの「メイン」を張るのに相応しい大曲で、これを一晩で一度に聴けるなんて本当にあり得ないことだった。

ただ、よく考えてみると、二曲とも編成も大掛かりで、管楽器などは通常のシンフォニーの倍くらいの編成になっている。

と、いうことで、ホルンが通常の倍の8本、ファゴットも通常の倍の4本、ティンパニーもダブル、という、非常に似通った編成なので、この二曲を一晩でやる、というのはある意味、「理に適っている」という言い方もできる。

このコンサート。取るものも取り敢えず、チケット2枚を買って、妻と一緒に出かけて行き、本当に至福の一夜を過ごしたのでした。

 

で、ようやく本題に戻ると、「震災の後に第九=歓喜の歌」と、いうことで、極々一部では疑問の声もあったようだが、当日の演奏の突き抜けた素晴らしさがそんな声など吹き飛ばしてしまったのは言うまでもない。

 

今回、久々に聴いて、改めて「音楽の力」を感じた。

通常の第九は年末にあっちこっちで立て続けに開催されるので、ある意味「食べすぎ」の感もあるのだけれど、こういう風に「ここ一番」で改めて演奏される「第九」はやはり全く違うなあ、という思いを新たにした。

 

我が家のTVの小さな画面からも第三楽章辺りからはもう全てのプレイヤーが所謂「ゾーン」に入っているのではないか、という本当に「イッチャッテいる」表情をしているのが良く分かる。

 

演奏と言うのは不思議なもので、ロックなど観客席の反応が分かり易いものはそのままプレイヤーもノッてくるのは容易に想像ができるが、こういうクラシックのコンサートで、客席も誰も一言も発しない、ましてや拍手もしていない中でも客席の興奮、というのはプレイヤーに直に伝わるようで、それを受けてプレイヤーも更に興が乗って、そして更に客席も、という相乗効果の積み重ねが果てしなく連鎖してホール全体が本当に「ゾーン」に入っていたように感じた。

 

その中で、メータは終始落ち着いた、いつも通りの端正な指揮をしていたのが逆に印象的だった。

良く「リーダーの役目は?」と、言われるが、正に「メンバーをその気にさせること」に尽きるのだろう、と、思う。

 

それは下町ロケットのように、リーダーの発する「言葉」であったり「文章」であったりもするのだけれど、今回は正に震災後誰よりも早く来日して被災者のためにチャリティーコンサートを開催しよう、というメータの「想い」そしてその「想い」が滲み出ている「背中」であったろう、と、思う。

 

普段の第九であれば、どうということもなく観ているのだけど、この第九だけは正に別格で、本当に第四楽章の途中からは涙が止まらなくなるような、「名演」という言葉ではとても言い表せないような、本当に神懸った演奏だった。

こういうコンサートは年に何回もあるものではないとは思うけど、やはり「想い」と言うのはちゃんと伝わるのだなあ、ということを再確認した一夜でした。