諫早建設の日常酒井ブログ
2021/01/20
少し前のPHPの記事。
こういう話を読んだり聞いたりすると年のせいか目頭が熱くなる、と言うかもう涙が止まらなくなってしまう。
この記事を読んだ時もそうだった。
しかし、それは私自身がこういうことを俯瞰で見ているからに他ならない。
要は「泣いてる余裕がある」ということ。
多分、渦中のご家族は毎日が必死でそんな余裕など微塵もないのではないだろうか。
良く「神様は試練に耐えられる人にだけ試練を与える」などと言うが、多分そんなことは全くなくて、それが好むと好まざるとに関わらず、「日常」である、ということ。
昨年暮れに地上波初という触れ込みで「こんな夜中にバナナかよ」が放映されていた。
私も劇場で見そびれてしまったので初めて観た。
この映画がとってもイイのは、障がいのある主人公が少しも可哀そうでないこと。
要は一貫して「俺はボランティアに介護させてあげているんだ!」という傲慢ともとれるような態度であること。
常に周囲とは「対等の立場である」ということで、介護する方も「同情」ではなくてそれを前提にある意味「乱暴に」付き合っている。
だから普通に告白して平気でフラれる。
本当はこういう関係性こそが正しいのかもしれないけれど実際はなかなかそうも行かない。
とは言え、この物語、「実話」がベースなので些か驚く。
随分前に車椅子のお客様の家を建てて、後日伺った「いさはや通信」のインタビューの時に、設計の高嶋が、ご両親様から「“この家がなかったら人生変わってたね!”って言ってるんですよ!」という最大級の賛辞を頂いたけど、設計、家づくりで実際にこういう風にお役に立てることができたら、これは大きな喜びだし、自分の知識や技術をもってそういうことに直接貢献できるのは本当に素晴らしいことだと思うし羨ましくもある。