諫早建設の日常酒井ブログ
2021/09/30
本当はとっても好きなのだけれど、それが始まると思わずチャンネルを変えてしまうCMがある。
多分、ご存知の方も多いであろう「聖教新聞」のCM。
図書館司書のお姉さんと、その愛用者である、耳が不自由な女の子のCM。
実は私が仕事をリタイヤした後、手話を勉強したい!と、思った一つのきっかけにもなった。
パラリンピックが終わってもうすぐ一か月。
様々なハンデを抱えながらそれをものともせずに健常者もかくや、という素晴らしいプレイを見せてくれる選手たち。
私が先のCMをなかなか直視できないのは、やっぱりその女の子が「可哀そう」と思うから。
要は「同情」をしているから。
だけどパラリンピックで活躍する選手たちを見るにつけ、そういう「同情」は彼らにとってはとっても「失礼」なことなのだろう、とつくづく思う。