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諫早建設の日常酒井ブログ

2021/10/15

小三治

柳家小三治が亡くなった。

 

 

残念!至極である。

 

私は中学生の頃から落語が大好きで、メチャクチャ分厚い文庫本の「落語大全」なる本を愛読書としていた。

 

また、高校生に掛けてはご多分に漏れず、当時全盛だった深夜放送にハマって毎晩朝まで聴いていた。

 

で、朝5時まで「オールナイトニッポン」や「セイ!ヤング」「パックインミュージック」などを聴いて、

 

「さあ、そろそろ寝ようかな」

と、言う処で聴きだすのが、ニッポン放送の「早起きも一度劇場」。

 

この番組は落語の他、講談、長唄や浄瑠璃など日本の古典芸能を毎日日替わりで放送していた。

 

当時は六代目三遊亭圓生の絶頂期で、好んで聴いていた。

 

大学生~就職してしばらくは落語からは少し離れてはいたのだけれど、その頃でも好きだったのはこの柳家小三治。

 

就職してしばらくしてから、何度か高座を観に行った。

 

最近はなかなかチケットが手に入らなくなってしまって、往生したけれど、当時は結構直前でも、と、いうか新宿末廣亭の前まで来て

「おッ!小三治出てる!」

と、言う感じでもチケットを買うことができた。

 

小三治の場合、一門会などはかなり大きなホールで演ることもあるけれど、基本はやっぱり「定席」と言われる「末廣亭」や「演芸ホール」「鈴本演芸場」などの「寄席」、要は高座からぐるっと客席全部が、もっと言えば客一人一人の顔が確認できる小さな「小屋」が実に良く似合う。

 

なんでかと言うと、小三治の場合、高座に上がる時には出し物が決まっていなくて、高座に上がってから客席を一通り見渡して、場合によっては「まくら」を振りながら客の反応を見ながら、その日の出し物を決めることもある(らしい)。

 

場合に依っては「まくら」だけで時間が終わってしまって、高座を降りるということも珍しくはなかった。

 

だから、小三治のCDやDVDの中には「まくら」だけを集めたものもあるくらい。

 

一時、談志が絶頂期のとき、

「落語の“通”は談志を聴く」

的なことを言う人が沢山居た。

今でもある意味「神格化」されて、プロの噺家の中でも談志の信奉者は多いと聞く。

 

で、私も「そうなのかなあ」と、試しに談志の高座を聴きに行ったことがある。

結論は「俺には全く合わない!」

と、いうこと。

 

要は私が落語を聴きに行く「目的」は何を置いても「リラックスしたい!」「グダーとしたい!」「ボー――ッとしたい!」と、いうこと。

 

小三治の高座は前述のように、場合に依っては出し物も決まっていないほど「緩い!」

 

小三治が高座に上がって、ひとしきり客席を眺めまわしているとき、客席は「くるぞ、くるぞ」という期待感と共に「何が来るんだろう」というワクワク感が支配する。

 

で、それが頂点に達したときに小三治がおもむろにしゃべり始める。

「どーーーでもイイこと」(まくら)を

で、気が付くと自然にクスクス、そしていつの間にか腹から笑っている。

 

一方、談志の高座は緊張のしっぱなし。

「寝ている客を追い出した」

と言うような「実話」もあるくらい、兎に角緊張感がに包まれている。

ある意味落語「道」のような感じ。

 

これはダメ!ですねえ。

いや、飽くまでも「私にとっては」ということですよ。

 

最近、と、限らず、特に若手の「落語家」に多いのは

「一所懸命に客を笑わせて遣ろう!」

と、頑張り過ぎちゃうパターン。

 

これはこれで、聴く方としてはメチャクチャ疲れる。

こういうのはやっぱり「落語家」で、一所懸命にネタを完璧に遣ろうとする。

そして客を(ムリやりでも)「笑わしてやろう」と、身構えている。

 

一方、小三治は「噺家」と呼ぶに相応しい。

 

だって、場合に依っては、というかむしろ多くの場合、本題のネタよりも「まくら」の方がずっと長いこともある。

 

要は「ネタ」を披露するのではなくて飽くまでも「噺」を聴かせて、客席をクスっと笑わせる。

 

これこそ「噺家!」

この(計算された)「緩さ」は多分、現在の落語界では誰にも真似はできないのだろう、と思う。

小三治の「芸」の幅の広さと奥深さ、そして自信に裏打ちされた「余裕」があってこそだから。

 

最近「お笑い」と呼ばれる人たちの中には

「客を笑わせる」ことと、「客に笑われる」ことを混同して、何か勘違いしている人達が多くて、特に一発芸と言われる、芸とも言えないモノの中には見ていて不快感を覚えることもある。

 

人間国宝になってから、最近は特にNHKのドキュメント番組にも取り上げられることが多くなって、タクシーを降りて、一足一足確かめながら楽屋に向かう姿を見てはとても心配をしていた。

 

最後の高座が10月2日。

文字通り、「噺家」を全うした人生だった。

本当に惜しい人を亡くした。(合掌)