ニュース&ブログ

諫早建設の日常酒井ブログ

2022/04/30

演奏後

 

以前はコンサートの「始まる前」を書いたけど、今回は「演奏後」についてである。

 

曲が終わると、当然拍手が起こる。

 

指揮者はそれに応えて、その曲で活躍した(楽器の)プレイヤーを指さして立たせる。

 

 

弦楽器だと、曲中にTOP奏者のソロがあった時以外は、基本的にそのパート全員だったりするのだけれど、管楽器の場合は基本的にはまず、ソロで顕著に活躍したプレイヤー、そしてその次には各パートのトップ奏者。

 

で、次に指揮者が出てきたときにはそのパート全員、若しくは木管楽器全員、金管楽器全員、というように立たせる。

 

我々のようなアマチュアだと、当然立たせてくれたら単純に嬉しい!

 

で、プロはそんなに嬉しくはないのかな、と、思っていたら、随分前に読んだ、N饗の首席オーボエ奏者の茂木さんのエッセイに依れば、

「プロも嬉しい!」

らしい。

 

逆に指揮者が立たせてくれないとそれなりに凹むらしい。

 

この辺り、我々と同じで何だか可笑しくて、嬉しくなる。

 

ただ、例えばソロを吹いた奏者を立たせる場合、その演奏が上手く行った場合は何の問題も無いのだけれど、あんまり上手く行かなかった場合はかなり微妙。

 

プロの場合はそれほど大変なミスは無いのだけれど、私の場合は学生時代にウチのオケの定演、チャイコフスキーの「悲愴」の冒頭のドソロで、大惨事!をやらかしてしまった。

 

と、言っても本人的にはかなりの「大惨事」だったのだけれど、後で聞いたら他のプレイヤーの中には全く気が付いていなかったメンバーも居たくらいで、それはそれで「ナンダかなあ」と、いう感じではある。

 

因みに、妻は同じ舞台に乗っていて、他に全く音の無い中、正に妻の弾くコントラバスのベースの音に私のソロが乗る、という感じだったので、彼女が気が付かないワケがなく、当時は全くお付き合いをしていたワケでもないのに、本人同様、というか弦楽器の彼女としてはそれ以上に動揺したらしい。

 

で、その曲の最中、私的には

「曲が終わった後、どうしよう・・・・・・・」

と、ばっかり考えていた。

 

で、案の定、一応曲のドアタマのドソロだったので、指揮者の先生は大惨事をやらかしてしまったにも関わらず、「お約束」的に私を指してくれた。

 

この時の心境たるや、正に「針のムシロ」状態で、私的には

「早くアンコールに行ってくれ~~~~!!」

と、心の中で念じていた。

 

で、それからというもの、私的にはどうしてもこの「演奏後」の「指揮者の指名」がヤケに気になるようになってしまった。

 

 

演奏中もソロがある奏者には

「どうか上手く行きますように!!」

と、文字通り「手に汗握る」。

 

で、そうでない奏者、要はソロで目立たなくても、演奏そのものがとても素晴らしかった奏者には、

「どうか指揮者が指名してくれますように!」

と、祈るような気持ちになる。

それがTOPではなくて、2nd奏者であったりした場合は尚更である。

特にオーボエの場合、2nd奏者がコールアングレを吹く場合が多く、またコールアングレはソロも多いのでそういう事が起こる。

 

 

随分前にはなるけれど、私の大好きなズビン・メータが手兵のイスラエル・フィルを率いて来日した時、この時は私の大大好きなストラヴィンスキーの「春の祭典」と、マーラーの「巨人」の、実にあり得ない二曲プロだったのだけれど、二曲ともに通常のほぼ二倍のプレイヤーを要する大編成の曲で、ティンパニーもダブルで演奏するため、通常のイスラエルフィルのメンバーの他に、(多分)日本人の若い奏者が叩いていた。

 

で、最初のウチは「大丈夫かなあ」と、心配していたのだけれど、これがメチャクチャ素晴らしくて、むしろTOP奏者すら食ってしまうような堂々たる演奏だった。

 

聴衆も彼の演奏にどんどん惹きこまれて行くのが肌で感じられて、オケ全体も彼の叩くティンパニーに引っ張られるようにどんどんノリノリになって行く。

 

曲が終わると、聴衆からは盛大な拍手!

 

ただ、やはり「サブ」だったので、全く期待はしていなかったのだけれど、そこはサスガのメータ。

 

全ての(ソロを吹いた)メンバーを差し置いて、ナント、その日本人の若いティンパニー奏者を立たせた。

 

そこは聴衆も心得たもので、(多分)多くの聴衆が「我が意を得たり!」と、ばかりに実に盛大な拍手で彼の素晴らしい演奏を称えた。

 

当然、楽団員達も全員、一番後ろで叩いていた彼に向かって、ワザワザ後ろを向いて拍手喝采!

 

ホールすべてが、普段は地味(?)な楽器で、ショスタコーヴィッチの5番(革命)のような劇的なフィナーレでもない曲の、しかもサブのティンパニー奏者を称えていた。

 

こういうのは、聴衆もとっても気持ちの良いもので、ただ単に形式的に順番にプレイヤーを立たせてゆくのとは全く違って、聴衆もそして楽員たちも実に興奮する。