諫早建設の日常酒井ブログ
2022/07/30
先日の日曜日、いつものように「鎌倉殿の13人」を見終わって、特に観るモノもなく、ナントはなしに隣のNHK音楽館にチャンネルを合わせていた。
遣っていたのは京都市交響楽団のマーラーの交響曲第一番「巨人」。
指揮は広上淳一。
実は、私はこの人の指揮がどうも好きになれない。
要は素直に聴けないのですねえ。
考えてみれば、小林研一郎のような、あんなにアクの強い演奏は大好きなのに・・・・。
考えるにどうもあのオーバーアクションと、ドヤ顔の上から目線が好きになれない原因なのではないか、と最近ツラツラ考える。
実はしばらく前、昨年のオリンピック前くらいに、コロナが猛威を振るいつつあった頃、地方のオーケストラはコンサートも開催できずに瀕死の状態だった。
その頃に、地方のオーケストラ応援企画のような番組構成で、その一端でこの京都市交響楽団を紹介していた。
と、思い返してみるとちょうど一年前のこのブログで、全く同じことを書いていたことが判明。
要は地方のオーケストラの中でも一番印象に残ったのがこの京都市交響楽団。
で、その指揮者の広上淳一はイマイチ好きになれない。
と。
で、その時と今回も全くお同じ印象を持ったのだけれど、要は曲の冒頭からずーーーーっとテンポも表現もずっと抑え気味で進行していて、要はずっと手綱を絞って絞ってきて、聴衆もプレイヤーも欲求不満が頂点に達した処でポーンと一気に手綱を解き放つ。
そうするとオケは喜び勇んでそれまでの何倍かのパワーで最後まで突っ走る。
と。
今回の演奏も全く全く同じ印象だった。
と、言うことはこの指揮者はいつもこういう演出をする、ということらしい。
少し前に見た、N響の常任指揮者ブロムシュテットとはある意味対極にある指揮者かもしれない。
実はブロムシュテットも最初のウチはあんまり好きではなかった。
と、言うのも、演奏が余りにも端正で精緻で全くツッコミ処が無かったから。
要は非の打ちどころのないと、言うか、ツッコミどころのない完璧な演奏だったから。
私はどちらかと言えばコバケンや佐渡裕のような些かやんちゃな指揮者の方が好き。
ただ、これも最近では随分と印象が変わって、それを良しとする、要は「N響らしいなあ」と、結構俯瞰で聴くことができるようになってからはむしろそういう精緻な音楽が心地よく聴こえるようになってきた。
要は「好き嫌い」。
飽くまでも感覚的なモノ。
それもその時の気分や周囲の状況で大きく変わってくる。
音楽って本当に不思議なものです。