諫早建設の日常酒井ブログ
2024/11/30
「落ち葉」と聞くと、一見ロマンチックでもある。
TVの画面や旅行先でそぞろ歩きをしているときに踏んでいる「落ち葉」はなかなか風情もあり、旅情もひと際掻き立てられる。
が、これが「自分自身の問題」となると話は別、という事になる。
諌早建設の事務所前の街路樹。
以前はアカシアだったのだが、数年前に山桜に植え替えられた。
アカシア時代はこの時期に限らず「年中無休」で、それこそ「のべつ幕無し」にハラハラ、ハラハラと落ちていた。
山桜に代わってからは、この時期だけ集中的に落ちてくる。
そういう点では「楽になった」と、言えなくもないが、その落ち方たるや半端ではない。
葉っぱも大きいので、一日で大きいゴミ袋が一杯になったり、場合に依ってはそれでも足りない時もある。
11月中旬から12月上旬にかけての約1か月間、毎朝の掃除は憂鬱である。
とても「風情を楽しむ」心境にはならない。
しかも掃いても掃いてもその傍からどんどん落ちてきて、文字通り「キリがない」。
一旦キレイに掃いて、振り返るとまた大量に落ちている。
風が強い日など尚更、その徒労感たるや・・・・・・。
今年は秋口に市の剪定作業が行われていたのだけど、思わず
「みいんな丸裸にしてくれないかなあ」
と、言ってしまった。
ある時は木の幹を一所懸命に揺すってもみたのだけれど、これが落そうとするとシブトクてなかなか落ちない。
実は私の実家にも、昔は父が自分で掘った池がある、小さいながらも丹精込めた風情?のある庭があった。
当然毎年そこそこの落ち葉があるのだけれど、父は
「落ち葉はゴミじゃない、これが土に戻ってまた木々が元気に育つのだから」
と、そのままにしておいたしそれが当たり前と思っていた。
だから私的には落ち葉をゴミとして毎日毎日セッセと掃いてゴミ袋に詰めて、ワザワザゴミ収集車がそれを集めに来る、という事にかなりの違和感を感じている。