諫早建設の日常酒井ブログ
2021/03/11
東日本大震災から10年。
あの頃、諫早建設の大工さん、湯本チームは津波の被害が少し落ち着いてから、毎週末に被災地に通って、大工のウデを活かした復興のお手伝いを続けていた。
そもそも彼らは私達には黙って行っていたのだけれど、3.11から半年以上も過ぎたある時、諫早建設の現場でどうも随分疲れているように見えたので
「どうしたの?何かあった?」
と、声をかけたら訥々と話し始めた。
「実は今、毎週末に被災地に行って大工作業をしています。最近は作業にも大分慣れてきて、現地も多少は落ち着いてきたので地域の人たちと会話できる余裕も出てきたんですよ。
僕たちもテレビで被害の状況を見ている時は何となく俯瞰で見ていたのだけれど、被災地の現場に入るとそんな呑気なことは一切言っていられなくて、とにかく必死で作業してました。
でもテレビで絶対に分からないのは「ニオイ」ですね。兎に角形容できないようなニオイがどこもかしこも充満していて・・・・。だけどあんまり露骨に鼻を覆うのもなんだか失礼かな・・・・っていう想いもあるし・・・・。
実は最近では本来の大工作業よりも“話を聞く”っていうことが多くなって・・・。
被災した人たちは周りがみんな家族や家を亡くした、同じような境遇だから、なかなか自分だけ苦しい想いをしている話もし難いらしくて、僕たちが東京から来た、ということが分かると堰を切ったように話し始めるんです。
時に依っては話始めたら涙が止まらなくなっちゃう人も居て、でも僕たちも何て言ったらイイのかも分からなくて・・・・。ただ、聞いているしかなくて・・・・・。
でも最近ようやく分ったのは、僕たちはそういう話をただ聞いていればいいんだって。
被災者の人たちには“話を聞いてくれる人”こそが必要なんだ、っていうことなんです。
そろそろ大工仕事も少なくなってきたんだけど、もう少し被災地には通うかな、と、思っています。
イヤ、諫早の現場には決して迷惑はかけないので、安心してくださいね!」
私達は東京で、のほほんとテレビを観ながら勝手なことを言うばかりだったけれど、身近にこんなにも直接的に行動を起こして被災者に手を差し伸べていた人たちが居たことに本当に驚いたし、またそういう人たちが我々の仲間だという事に誇りすら感じた。